丸嘉小坂漆器店 漆硝子 – 前編 –
一人の時間も、誰かと一緒の時間も、
今日の自分にお疲れ様と乾杯したくなる。
今回ご紹介するのは、「くつろぎビールグラス」のストーリー。
「木曽漆器」の漆の伝統技法とガラスを融合させて、日本古来の美しい色彩を感じるグラスが誕生しました。
くつろぎビールグラス始め、漆とガラスの製品を生み出す丸嘉小坂漆器店では、「伝統を守る」ことと、「現代の生活に合うものをつくる」こと、両方を大切にして挑戦を続ける姿があります。
ものづくりのある日本の風景を訪ねて、暮らしの道具と巡る旅は木曽路へ。
新宿から中央線特急松本行きの「あずさ」に乗って、木曽へ向かう。
松本の手前の「塩尻」の駅で乗り換えると中央線は途中から単線となり、車窓の景色は山へ山へと吸い込まれるように、山の奥深くへ進んでいく。
到着した駅は、「木曽平沢」。民家の甍が立ち並ぶ奥に、信州の山を臨んだ。
< 江戸時代、「木曽路」として栄えた、奈良井宿と贄川宿に間にあるのが木曽平沢 「すごいところに来ちゃったね」と思わず呟いた一言 >
―木曽路は全て山の中である。
「木曽」というワードを検索すると必ず出てくるのは、島崎藤村の「夜明け前」の第一節。
本当に、木曽路は全て山の中にあるんだなぁと、目の前に広がる景色と言葉がピタリとハマるのに妙に納得した。電車を降りると、後ろ側の森からは都会では聞かないような山に住む蛙たち(かな?)の声が聞こえてくる。
<山に守られるようにして集落がある>
<ホームのすぐ後ろにも山。ちょうど年に一度の木曽漆器祭りの行われる直前で、たくさんの幟がたっていました>
木曽平沢 木曽漆器の街
中山道は、江戸時代に整備された五街道のうちの一つで、京都と江戸を結ぶ内陸の道。木曽を通ることから「木曽路」とも呼ばれていました。
木曽は良質な木の材に恵まれ、木曽ヒノキをはじめとするサワラ・アスナロ・ネズコ・コウヤマキの5種類の材は「木曽五木」と呼ばれ、大切に保護されてきました。
伊勢神宮の式年遷宮で使われる木材も、実はこの木曽から取れる樹齢300年以上の木曽ヒノキです。
長い年月の中で豊かな森林資源とともに暮らしてきた人々の生活があり、多くの人が往来する街道沿いに、「木曽漆器」は生まれました。
漆器店の立ち並ぶ通りを歩いていくと、丸嘉小坂漆器店に到着。
丸嘉小坂漆器店の代表の小坂玲央さんと奥様の小坂知恵さんに迎えていただきました。
小坂玲央さん 伝統工芸師 一級家具製作技能士
丸嘉小坂漆器店は、祖父の嘉男さんが1946年に創業。小坂さんの家系は代々、漆器店を営んできて、祖父の嘉男さんは次男だったために家を出て独立したのこと。二代目の小坂康人さんはガラスに漆を塗り重ねられる技術を開発。三代目を務める小坂玲央さんは、長野県の技術学校で家具製作と漆技法を学んだ後、家具の製作会社での修行を経て2009年丸嘉小坂漆器店に入社。「企画・製造・販売をこなすスーパー職人目指して、日々精進中。」
小坂智恵さん 塗師
木工家具の製作を経て、木曽高等漆芸学院にて漆の技術を学ぶ。現在は塗りの作業に従事して、ガラスに繊細な柄を描くことを得意とする。
木曽平沢の通りに立ち並ぶ漆器店は、お店の奥に作業場である蔵があり、そこで漆器の生産をしながら生活を立ててきました。伝統的な家屋が立ち並び、古き良き日本の姿をそのままに残す街並み。今は、ここ木曽でも、他の地域と同じように、伝統産業に関わる職人は減少し、いかに技術や文化を継承していくかが課題になっています。
丸嘉小坂漆器店では、どのように「ガラス」と「漆」を組み合わせる技術が生まれたのでしょう?まずは、これまでの丸嘉小坂漆器店の歩みを聞かせていただきました。
伝統工芸が飛ぶように売れた時代
小坂玲央さん
「漆器は、分業によって成り立っていて、最初に木地(木の成形)、下地、塗り、そして最後に加飾(漆を塗った器に最後に漆を使って紋様をつける)に分かれていました。
私の祖父が、家業の漆屋を出て独立した時には、下地屋としてスタートしました。
ただ、それだけではできる仕事が少ないので、二代目の父が入った時に、塗りの技術を本家で学んで、そこからは塗りの技術を取り入れるようになりました。
その頃から、日本経済がとても良くなってバブル期に入るのですが、木曽ではホテルにおさめる座卓の生産が盛んで、飛ぶように売れたと言われます。」
<古い街並みがそのまま残る木曽平沢の町は、国の伝統的建造物群保存地区に選定されており、通り沿いに漆器店が立ち並ぶ>
よくホテルの和室で見かける、漆塗りのローテーブルは呂色塗りと言って、「鏡面仕上げ」が施され、塗りの中では最高峰の仕上げと言われています。
ピアノのように黒く、鏡のように艶やかに塗られた後に、蒔絵や沈金で美しく装飾される。
小坂さんのお家では、このベースとなる鏡面仕上げを担当していて、日に2,30台回転させるというほどの繁盛だったと言います。
小坂さん
「ところが、バブルが崩壊すると一気にお仕事が減りました。
伝統工芸は、問屋さんから下請けとして、お仕事をいただくのが通常。バブル崩壊してから漆問屋さんからの仕事が一気になくなってしまった。
売る場所がない、仕事がないので、いよいよまずいということを感じて、自分たちで商品を作って売ることまでしないと生き残れないという危機感を感たと言います。」
伝統工芸に、新しい技を取り入れる
ちょうどその頃、二代目小坂康人さんのところに「ガラスに漆を塗ってみないか」という話が飛びこんできます。声をかけてきたのは、長野県の工業試験場の方。そこから1年半ほどの研究を経て、ガラスに漆を塗る技術の開発が成功しました。
小坂玲央さん
「実は、その話をいただく以前、父が座卓をやっていた頃に、座卓にガラスをはめ込む天板があったらしいのです。透明のガラスでは面白くないので、そこに漆の絵を入れたいということでやってみたのですが、ただガラスに漆を塗っただけでは定着するのが難しく、数ヶ月後には自然に剥がれてしまったらしいです。」
漆は、本来は木に塗られるもの。ガラスは無機質なので、漆が乾燥する段階で収縮する際に剥がれてしまいます。木の場合は、木の中に漆が吸い込んでいくので剥がれることはない。
小坂康人さんと長野県の工業試験場で協力して、ガラスに漆を定着させることに成功しました。
<ガラスに漆で着色する、小坂知恵さん。ムラなくぬることが、木より難しいと言う。持ち手の部分に黒い漆を着色>
小坂玲央さん
「試行錯誤の結果、とうとう1994年に漆とガラスのマッチングに成功しました。
ただ、今度は開発できたのは良いのですが、自分たちで売ることは得意ではなくて、最初の頃は長野県内の百貨店さんに少し置いていただくような形で細々とやっていました。
その時に、ちょうど漆塗りの家具を販売していたこともあり、実はそちらの方が主力で売り上げを大きく占めていたんです。
ところが、ベッドや椅子という大きな家具も、その後の時代の流れでいよいよ売るのが厳しくなってしまった。そこで、できれば販売してくださるお店を増やしたいと、眠っていたガラス製品に力を入れていくことにしました。
そして、2013年に、ガラスと漆製品の新しいブランドをリリースして、展示会に出展した際にWISE・WISE toolsさんともお会いして、これまでお付き合いさせていただいている形です。
僕たちも、これが本当に売れるのか自信が持てない中で、最初の出会いが大きかったです。自信になりました。」
<黒の漆の上から、金色をグラデーションになるように塗り重ねる>
<ガラスは透明なので光が通り抜けて、塗りむらがはげしくなってしまう。木に塗る場合と道具を変えて、ムラがないように注意深く塗りを入れていく>
<焼くことで漆をガラスに定着させると、美しく彩りがでてくる>
木に塗られた漆は、使っていくことで色に変化が出て楽しむことができるのが、漆器の楽しみ方。
そして、ガラスに塗られた漆は、高温で焼き付けることで、完成した瞬間から輝きのある漆になります。
木とガラス。同じ漆を塗っても、その表情や使い方にはそれぞれの楽しみ方があります。
伝統工芸を継承しながら、今の時代に合わせたものづくりで革新していく。
木曽漆器の文化を受け継ぐ「くつろぎビールグラス」のストーリー。
つくり手の思いを感じながらいただくと、さらにビールがおいしくなる…
そんな気がして、執筆の終わりに、美味しいご褒美をちょっといっぱい、頂きたいと思います。
<工房の前で小坂玲央さん・小坂知恵さん・WISE・WISE tools バイヤー 神口悠紀>
実は、その目線の先には・・・
放し飼いのニワトリの姿が。なんとも豊かな、木曽の風景でした。 つづく
次回は、木曽漆器の成り立ちと、小坂さんの今後の展開をさらに聞いていきます。
丸嘉小坂漆器店 漆硝子 -後半- はこちら
文・撮影:さとう未知子